「私とダルク」                                       尼崎市保護司会 会長 正岡 康子

私とダルクの出会い

初めて「ダルク」を知ったのは、30年程前同期で保護司の委嘱を受けた神戸市東灘区の知人から誘われ参加した講演会でした。講師は、お名前を忘れてしまいましたが、当時開設間もない「大阪ダルク」でスタッフとして働いていた人でした。その人は七色に染めた髪の毛や奇抜なファッションで、今で言う「グリ下」の女子高校生たちに人気があるという方でした。自身も薬物依存に長く苦しんだ経験があり、依存が進むとどのような経過をたどるのか、どのような身体の変化が起こるのか等々、生々しく詳細な話をされました。話を聞きながら壮絶な情景が目に浮かびました。今でもはっきり思い出すことができます。当時は「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」の覚せい剤追放キャンペーン全盛の時代でしたので、その方がどん底の状態からどうやって回復できたのか、仲間の大切さ、回復に向けた集まりの場の必要性、ダルクがどのように生まれてきた場所でどのようなことが日々行われているのか、初めて耳にする話が私の心に大きな衝撃を与えました。

ダルクとのつながり

その後、大阪ダルクの支部のような場を設けようと、尼崎市法務局の南隣にあった労働福祉会館に関係者や賛同者が集まり、何度か会合を持ちました。そこに賛同者の一員として私も参加しました。その会合には大阪ダルクの倉田めばさんや、当時の大阪や尼崎の保護観察官の方も何人か参加しておられたように思います。しかしながら、結局その取り組みは実を結びませんでした。 

そして今、尼崎城の東に位置する尼崎市保護司会サポートセンターの近くに、阪神ダルクが開設され、さまざまな依存症で苦しんでいる方々がありのままの自分で過ごせる居場所ができたと知り、私は嬉しく思っています。  

保護司としての活動

保護司としての活動の中で、薬物依存との関係で最近心配していることは、10代の若者、特に社会的に孤立している女子高校生の間でオーバードーズ(市販薬の用法・用量を守らず、大量、頻回服用すること)が増えているということです。尼崎市保護司会では毎年、市内17の全中学校を各地区の保護司が訪問し、薬物乱用防止だけでなく、不登校生徒への対応、生徒達の校内での日常の様子から卒業生の動向にいたるまで、各校の管理職や生徒指導担当の先生方と緊密に情報交換を行っています。不運にも一線を越え道を外れてしまった場合でも、信頼できるだれか大人に打ち明けて相談し、やり直しが出来るんだよということを子どもたちに伝え、理解してもらいたい、と願いつつ活動を続けています。

結びに代えて~重層的支援制度の発足

令和6年1月に尼崎市と尼崎市保護司会、神戸保護観察所の三者は、再犯防止の推進を目指し三者で協定を結びました。複雑に絡み合った事情を抱え困っている人を重層的に支援しようと、すでに多数の機関が協力し、連携が始まっています。

ダルクと出会ってからずっと私の記憶に残っているフレーズとして「今日一日クリーンでいよう!」があります。このクリーンな今日を、仲間と共に一日一日積み重ねていく、そのためにダルクという場所は欠くことのできない大切な場所だと思います。倉田さんの話の中に、次のような表現がありました。「こうすれば薬をやめられる」という革命的な方法はない。やめたばかりの人、やめてから数ヶ月たった人、薬物をやめて不安になり、状態が悪くなり再使用してしまった人、ダルクのミーティングでさまざまな人を見て、話を聞く中で回復につながっていくことがある。「薬物を使わない」という新しい生き方をする自分がいて、日々現れる症状を自分でチェックして、それを正直に話したら「うんうん」と聞いて認めてくれる仲間やスタッフがいる。そんな一日一日を続けていく。

「今日一日クリーンでいよう!」この言葉を忘れずに、出会いに感謝し、さまざまな局面に向き合っていこうと思っています。

ごあいさつ                       神戸保護観察所統括保護観察官 左近司彩子

神戸保護観察所で統括保護観察官をしております、左近司と申します。

阪神ダルクの濱津代表及びスタッフの皆様が、薬物依存をはじめとするアディクションを抱えた人たちの支援のため、日夜御苦労されていることにつき、深い感銘を受けております。

保護観察所は、犯罪をした人や非行をした人の再犯・再非行を防ぎ、社会の中でその立ち直りを支え、地域の犯罪を防止することを目標とした、法務省の機関です。

保護観察所でも、アディクションの問題を抱えた人たちは多く目にします。覚醒剤や大麻などで逮捕された人だけではなく、飲酒運転をする人やアルコールや処方薬の影響下で問題行動を繰り返す人、市販薬を手に入れたくて窃盗をする人、ギャンブルで生活困窮し犯罪に至る人、自分でも理由が分からずに万引きを反復する人など、背後にはアディクションの問題があると考えられる人たちが増えています。御存知のとおり、アディクションの治療には長い時間がかかりますが、残念なことに保護観察の期間は法律で定められており、我々が指導として関われる期間はごく限られています。私は、保護観察所で薬物再乱用防止プログラムを担当してきましたが、保護観察が終わる直前の最後のプログラムに参加していた人が、「ここに来ている間は欲求の話もできていたけれど、これが終わったらどこで話をしたらいいんだろう」と寂しそうに話す姿を見ると、心苦しく思います。

少し話は変わりますが、平成28年12月に施行した「再犯等の防止に関する法律」を踏まえ、平成29年12月に「再犯防止推進計画」が策定されました。この「再犯防止推進計画」では、犯罪をした人を「生きづらさを抱えた人」「支援が必要な人」と捉え、国や地方公共団体・民間が力を合わせて再犯防止に取り組むことが提唱されています。令和5年度から開始した第二次計画では、7つの重点課題の1つとして、「保健医療・福祉サービスの利用の促進」が掲げられていますが、そこには「薬物依存の問題を抱える者への支援」が含まれており、具体的な施策として、「自助グループ等の民間団体との連携を強化し、刑事司法手続が終了した後も継続的な支援ができる体制を整備」することが明記されています。

また、昨年12月には、更生保護法の一部が改正されましたが、そこでは、保護観察が終了した者等への地域での援助が保護観察所の業務として規定されることになりました。依存症の問題を抱えた人たちを地域で支えるダルクとの関係が、これまで以上に重要なものとなってくると考えられますので、今後ともよろしくお願いいたします。

更に、阪神ダルクが位置する兵庫県尼崎市においては、重層的支援推進事業の枠組みの中で、罪を犯した人を含む、複合的な問題を抱える人を多機関ネットワークの中で支えていく取り組みが進められています。そして、神戸保護観察所も、尼崎市・尼崎市保護司会と「再犯防止の推進に関する連携協定」を結び、ネットワークの一員として、彼らの生き直しを支えていきたいと考えています。

なお、私事ではございますが、令和6年4月以降は神戸保護観察所尼崎駐在官事務所の統括保護観察官として、尼崎市に住む保護観察対象者の処遇、及び市内の関係機関との連携を担当することになりました。阪神ダルクの皆様とは、顔を合わせる機会も増えるかと思います。これまで以上に協力関係を深めていきたいと思いますので、重ねてよろしくお願い申し上げます。

【自分が変われるきっかけをくれたダルク】 ユジン

 僕が薬物に手を出したのは25歳の頃です。大学を卒業し、国家資格を取得し、思い描いていた社会人生活を送り始めた頃でした。実家から大阪まで通い、頑張って貯金をし、一人暮らしも始めました。しかし、社会人生活というものは、そう楽なものではありませんでした。それでも頑張って働くことを続けていました。そんな生活を送る中で、覚醒剤に出会いました。僕はセクシャリティがゲイで、きっかけはネットで知り合った男性に誘われたことでした。誘われたときは、相手の男性がタイプではありませんでしたが、薬物を使用するという興味の方が強かったため、迷うことなく相手の家に行ったことを覚えています。相手の男性が準備しているものが、覚醒剤だという認識はありませんでした。覚醒剤というものを実際に見たことがなかったからです。でも、何かしら危ないことを今からしようとしているんだなという認識は少なからずありました。それでも興味の方が強かったため、その場でも断ることなく、覚醒剤を使うことになりました。僕はそのたった1回の使用ではまってしまい、何度も相手の男性の家に通うこととなりました。さらに使用頻度はエスカレートし、自ら売人を探し、覚醒剤を買うようになり、依存の道へと走り出しました。使用し始めてから、約1年後の26歳。初めての逮捕となりました。大阪の家から手錠をかけ、新幹線に乗り、東京まで行きました。窓から見える富士山に感動することなく、ただ悲しさだけが僕の中にありました。懲役1年6か月、執行猶予3年の判決で刑務所に行くことなく。娑婆に戻ることができましたが、僕の頭の中からは悲しみは薄れ、どうやったらまた覚醒剤を使うことができるのか、そんな思考が渦巻いていました。すぐに使うことはできませんでしたが、執行猶予を過ぎたあたりから、再使用が始まりました。就職して、仕事はできるものの、薬物を使用してしまうと、幻覚や幻聴、勘ぐりがひどいため無断欠勤をし、仕事を退職するというサイクルを何度も経験しました。そんな人生に嫌気がさし、薬物をやめたいという気持ちが芽生えるも、それでも薬物から離れることはできませんでした。幻聴の影響で死んでしまおうと自殺を試みたこともありました。でも死ぬ勇気はありませんでした。頭の中で死にたいと思っていても、体は生きたいと感じていたようです。そして2022年7月の33歳の時に親に通報され、2度目の逮捕となりました。覚醒剤を大量に使い、自分ではどうすることもできなかったため、親に助けを求めたのですが、親もどうすることもできなくなり、警察に通報したそうです。最初は悲しかったです。でも、警察が来たときは、心のどこかに少し安心した気持ちもありました。これで薬物から解放されると思ったからです。裁判も終わり、1年6か月の実刑判決で刑務所に行くことが確定しました。拘置所で過ごしている間、僕を担当してくださった弁護士の先生がとても良い方で、今の阪神ダルクの施設長と出会うこととなりました。アクリル板越しに施設長と会ったときはとても緊張しましたが、この出会いが僕の人生を大きく変えるきっかけとなりました。「君は一人じゃないんだよ。」たったその一言が僕の心を動かしてくれました。それと同時に、僕は薬物の問題を一人で抱え込もうとしていたことに気づかされ、自然と涙が溢れました。その瞬間から僕は「この人に付いて行こう」と覚悟を決めることができました。ダルクに行くという覚悟を決めてから、僕の中で少しずつ変化が起き始めました。刑務所の生活は辛いこともたくさんありましたが、自分自身と向き合うことも行なっていました。そして、2023年10月、仮釈放をもらい、阪神ダルクにつながりました。最初は訳も分からず、施設内のプログラムをしたり、NAのミーティングに参加していました。最初のころは自分のことを話すに躊躇したり、話せても上っ面なことだけ話していました。でも、そんな状態でもミーティングに参加し続けていると、先行く仲間の話が段々と分かってくるようにもなり、自分の本音も少しずつ言えるようになりだしました。大きく変化が出だしたのは、入寮してから1か月ぐらいの頃でした。仲間のことで思い悩み、つらい時期がありました。そのことを泣きながら話せたことでした。自分の本音を話すことができたときは心のもやもやが少し晴れたような気分になりました。その時ぐらいから、本音を話すためらいも減り、素の自分を出せるようになったと思います。もちろん本音を話すことが簡単なことではありません。勇気がいることです。でもその大きな一歩を踏み出すことで、成長できることも知ることができました。健常者にとっては、それぐらいのことかと思われるかもしれませんが、僕ら依存症者にとってはそれが容易ではなく、薬物に手を出すきっかっけとなるみたいです。

 阪神ダルクに入寮して、自分と向き合うことだけではなく、素面で楽しむことも行なっています。USJや有馬温泉、白浜旅行にも行きました。また、この年末年始は西宮の神呪寺で御来光を見たり、銭湯に入ったりと満喫することができました。薬物を使っていたころはも同じような過ごし方をしていましたが、どこか寂しさもありました。でも、今はこうして仲間と過ごせていることが何よりの幸せです。この思いを忘れず、これからの回復に力を注いでいきたいと思います。回復がうまく軌道に乗れば、ダルクのスタッフをしたり、まだ苦しんでいる仲間にメッセージを運べるような人になりたいと強く願っています。

「ダルクと関わり見えてきたこと」            阪神ダルク支援者 川西悦子

 20年ほど前、友人の息子さんが深夜に徘徊をしているのを捜索したことがきっかけで、私のボランティアの夜回りが始まりました。

 子ども達は様々な理由や事情から深夜徘徊をしていました。子ども達によっては暴力、貧困、女の子に関しては性暴力等、複雑な家庭環境がありました。その子ども達の中で苦しさを紛らわすためシンナーや大麻といった薬物に手を染める子ども達とも出会ってきました。私はその子供たちをなんとか出来ないかと思うようになり、色々な薬物の本を読み勉強しました。そしてある本に「薬物は依存症という病気である」と書かれていました。「えっ病気、病気なら治る」と思いました。薬物に関する専門書等を色々読みました。その中に薬物依存症の人たちが回復できる施設「ダルク」という場所があると知りました。そして、探した施設が「京都ダルク」という施設でした。ここで薬物のことを勉強したいしようと決心しました。

 初めての訪問前日、私はとてもドキドキしていました。世間では「覚せい剤やめますかそれとも人間やめますか。」のCMが、テレビで流れていた時代でしたので、本当に大丈夫かな?薬物を打たれたりしないかな?と真剣にその当時の私は思いながら、ダルクへ行きました。

しかし、本当のダルクは全く想像とは違いました。

ダルクへ行き、京都ダルクの玄関を開けて入ると、スタッフの一人が出迎えてくれましたそして、私と握手をした後、ハグしながら、「川西さん、良く来てくれました」と挨拶をしてくれました。その後も次々とスタッフ、利用者が集まり、順番に握手、ハグをしてくれました。私は緊張がとれ、受け入れられたような気持ちになりました。

それと同時に人の温かさを感じました。私はすぐに溶け込み、一週間に一回、ボランティアとして通いながら薬物の勉強をしようと心に決め京都ダルクへ行くことにしました。

 ダルクの一日は、午前、午後にテーマを決め一時間の「言いっぱなし聞きっぱなし」というミーティングを中心に行われ、それ以外にも昼食の作り方や規則正しい生活の在り方をダルクで学んでいました。ダルクでは一日二回のミーティングに力を入れ「今日一日薬物を使わないでいよう」を合言葉のように真剣に取り組んでいました

ダルクの人たちはテーマに沿って、自分の思い、苦しかったこと、生きづらさ等の気持ちをありのまま語る。

私はよくそのミーティングに参加させてもらい、薬物の方が語る体験談を聞いていました私にとって、その体験ははじめての経験でした。薬物を使い逮捕、精神科病院の通院や入院。孤独、孤立し自信がなくなり自尊心が傷つき絶望、家族にも見放され、苦しくなり再度薬物に手を染めていく。このような話をよくしていました。

これからどう生きていくのか、一人で考え生きるのではなく、仲間と共に助け合いなから生きることが薬物の人には必要だと感じました。

「安心できる居場所、それがダルク」と思いました。

私はこの人たちに何ができるのだろうか?と自分自身に問いかけました。当事者でもない私ができることを考えた時、側に居続け、寄り添い続けることはできる。一支援者として支援し続けることはできると思いました。

その日から今年で18年目。

色々な薬物依存症者との出会いで、私自身の考え方が変わり生き方を変え、色々な意味で成長させてもらえた気がします。うらぎらない、ありのままを受入れる。私の生き方の軸がこの時、生まれました。

今後もずっと依存症の方たちと関わり、支援者の一人として寄り添い続けていきたいと思います。

タイ出張で感じた広い回復世界   BOND

前置きに自己紹介させてください。

阪神ダルク入寮中のボンドと申します。今回で3度目のダルクの入寮です。1度目の大阪ダルクには何もかも新鮮で新しい世界でNAも施設も、仲間も。ミーティングと料理プロクラムをこなして没頭してて気がついたら、一年が経ち、退寮しました。その約2年後にスリップ。2度目の入寮は懲役から出て来た時で薬を使う欲求がなかったものの、取り敢えず安全な場所だと思い、神戸ダルクに入寮しました。信じられないほど過酷な人間関係の環境でした。その中で自分の欠点や自己中心的な心が仲間の中にたくさん見せられたにも期間中に関わらず反省するだけで終わっていました。そこにも一度目ダルクと同じように、“仲間のサポート”という大義名分で施設の仕事をこなして、あっという間に2年4ヶ月過ぎ、またも自分のことを良く知らずに退寮しました。リラプス、そして、今回3度目として、今の阪神ダルクに入寮させた頂いています。

さて、本題ですが、今年の11月にタイ語の通訳仕事でタイ王国に二週間ほど、行ってきました。主に薬物依存症専門の病院の中でヨガ療法師の研修プロクラムに参加させて頂きました。ダルクに入寮しながらも、海外出張ができ、タイの家族と有意義な時間を過ごせたことが施設に感謝しかありません。

そのタイの病院で自分と同じように薬物依存症の仲間だけではなく、その人たちに携わる医者、看護師、ソーシャルワーカー、心理士、薬物療法士、大学の研究家などの国レベルの問題まで幅広く話しを聞くことができました。僕の仕事は通訳なので、より鮮明に話しを深く理解することが出来、当事者の自分は誰よりも薬物依存のことが分かると感じて光栄でした。人はなぜ薬を使うかは僕が一番良く知っているからです。そのおかげで、プログラムの中でたくさんの「ありがとう!」を頂きました。嬉しかったのです。

ある日、タイの軍の薬物依存専門病院にチームが講習行きました。タイでは2回目以上、逮捕されると除隊されるので、真剣に軍人が治療に行く秘密の場所があります。彼らの家族も彼らの居場所が知らないそうです。そこでヨガプログラムの一環として、自分に意識を向けさせるために自分のことを話すプログラムがありました。タイの人はあまり自分のことを話すのは経験が少ないので僕がサポートに入りました。二人ペアで交代で「なぜ自分が薬を使ったか」というお題でした。そこに皆が話ししていたことがまるで、日本で僕が日常に聞いているNA仲間のミーティングのようで、それがタイ語で聞けたことに僕はNAミーティング参加しているような感覚になって感動しました。そこに話されたことが出会い、苦しみ、悲しみ、後悔、そして回復についてでした。「友達に勧められて薬を初めた」とか「辞めたいけど、使いたい」とか「切望の毎日」「希望」などについて… 自分の国で仲間の分かち合いができたような感覚で凄く嬉しくなりました。僕が当事者であることを明らかにできない立場だったので残念でしたが本当は僕も自分の経験を彼らにも分かち合いしたかったのです。いつも、小さな世界の中に肩身狭く生活している僕にとって一気に回復の世界が広がりました。回復の中で自分が一人ではないと思っていましたが、一層強く一人ではないだなと、今回のタイの出張に通してより確信することがきました。

今のタイはまだ日本のように社会保障が確立せず、自助グループはもまだ「ヤクチュウの溜まり場」だと認識されいる時代で普及していない現状です。僕はいつか日本で学んでいることをタイの仲間にも手渡しできるように成長し続けていきたいとも思います。ハイヤパワーが相応しくない僕の人生に広い世界を見せてくれたなと大変感謝です。

最後になりますが、

昨年、僕はあるスピリチュアルな経験(心が変わる経験)をしました。ある方に“自分が今、歩んでいる道に回復があるかどうか”と質問しました。そして「今の唯一のあなたの仕事は自分のことを知ることです」と言われました。自分にとって、その瞬間がその言葉が今までの約10年間の今まで入寮と退寮の繰り返し経験の全ての説明となったような気がしてて今の僕のダルクの居る目的にするべきだ僕が感じていました。お節介し人の問題を解決することやあれこれを疑うことをやめることにしました。

今の入寮中は「何をする」「何を学べるか」ではなく、正しい目標は「自分を知る」だと設定し直しました…自分が何者で、世の中に何を…誰を…大切にしていきたいのかという答えを与えられた経験の中に見つけていきたいと思っています。ありがとうございます。以上

阪神ダルクが築地連協会長及び、阪神ダルク担当窓口(以下、両者)との間で守るべき約束について

1  入所者が外出する際には、原則2名以上で行動します。職員、もしくは回復が安定した自助メンバーのどちらかが付き添うようにいたします。ただし、入所者本人との話し合いにより単独行動が可能と職員が判断する場合があります。尚、問題が生じた場合には職員が責任をもって対応いたします。

2 入所者が薬物(アルコールも含む)をダルク内に持ち込んだり、使用することは一切禁止とします。ただし、病院で処方されている薬や病気の治療薬はこの限りではありません(もっとも、乱用目的が明らかな時には、持ち込み禁止の対象とします)。

3 入所者に対し、暴力(言葉も含む。以下、同じ。)は一切禁止であることを徹底して指導します。また、入所者に対し、地域住民に対して、危害を加えないよう繰り返し指導いたします。

4 入所者同士での金銭の貸し借りや施設内での賭け事は一切禁止とすることにより、入所者同士がもめることを防止し、もって、地域住民の不安を高めないように責任をもって対応いたします。

5 入所者が、上記2項及び4項の禁止事項に該当する行為を行い、あるいは、ダルクや自助グループ(薬物、アルコールから回復を目指す集まり)で知り合った仲間と薬物を使用したり、密売人などの連絡先、薬の入手方法を教えたことが判明した場合は、面談を行い退所、入院、施設移動とします。ただし、法令上の要件を満たさない場合はこの限りではありません。

6 職員は、入所者の相談に乗りながら体調に注意を配り入所者が安定した生活を送れるよう支援します。もっとも、地域の中でトラブルが発生した場合には住民より阪神ダルクまで連絡をいただき、職員が状況に応じ責任をもって対応を行います。

7 職員は、就業時及び就業時間以外でも入所者と共に行動する時には名札を着用することを義務付けます。

8 入所者が新規入所または退所した際には速やかに両者に連絡を行うことを原則とします。

9  外出時間は原則朝8時から夜10時までといたします。  

10 阪神ダルクが発行する定期刊行物を両者に配布いたします。

11 阪神ダルクは、毎月の予定を書面にて作成し、両者に対して共有いたします。

12 個人が特定されるSNSの発信はしないよう徹底いたします。

13 常時、緊急連絡先を玄関ドアに掲示いたします。

令和5年 11月6日

築地連協会長

阪神ダルク担当窓口

一社)かえでの会 阪神ダルク

☆仲間の体験談☆「阪神ダルクありがとう~そして依存から回復への道~」アルコール依存症のまっちゃん

 アルコール依存、パニック症状がひどく家を失い町を一週間彷徨って夜回り先生に発見され阪神ダルクさんに救出保護そして部屋を与えていただき入寮させていただきました。2023年5月17日のことでした。私の年齢は52歳です。保護していただかなかったら死んでいたと思います。

 ダルクでの入寮生活プログラム、自助グループへの参加は酒で身も心もボロボロだった私にとってはとてもありがたいものでした。

 そして自分の酒まみれの人生を反省し見つめ直すにはいい機会チャンスを与えていただきました。グループホームでの生活は大変厳しいですが私の潜在意識の中に酒をやめたいという思いがあるので 一日一日断酒できています。酒とは縁を切って一日一日を大切に酒だけには手を出さず人生やり直します。 本当に阪神ダルク仲間の皆さんには感謝しています。毎日ありがとうございます。 阪神ダルクのレクリエーションで施設長をリーダーに 入居仲間と一緒に奈良の天川村コテージに2泊3日連れて行ってもらいました。大自然に囲まれた素晴らしい場所でした。みんなでBBQ最高に楽しかったです。私自身素面でそういうことをしたことがないので改めて阪神ダルクさんに助けてもらったおかげだと思います。 この恩は一生忘れません。

 これから断酒を続けて生活して行くのはお酒の誘惑を含め大変だと思いますが一日一日お酒だけには手を出さず頑張って生きていきます。 そして足跡を残せればいいなと考えています。 阪神ダルクさんには 私のようなひどい依存症者にとっては素晴らしい回復するための施設だと思います。 本当にありがとうございます。 一日断酒の積み重ねで頑張って生きて行きます。

尼崎依存問題家族相談教室のお知らせです!

 この度、兵庫県尼崎市で依存症家族相談教室を開催することといたしました。阪神地域の依存症問題でお困りのご家族の方対象です。先ずは抱えられている問題の話せる範囲の近況報告からご家族向け依存症回復支援テキストなどを使いながら安心安全な雰囲気で連続的に行っていく予定です。個別面談も可能な限りご対応させていただきます。予約不要ですが参加予定の方はご連絡いただけると助かります。直接会場へお越しください。秘密厳守いたします。

日時 毎月第2、第4土曜日(先ずは令和6年3月までの予定です)

時間 13時30分より2時間程度 

場所 サンシビック尼崎 茶室   住所 尼崎市西御園町93-2

参加費 無料

お問い合わせ 阪神ダルク 06-7410-4057 浜津

※この事業は兵庫県の「令和5年度 依存症に関する自助グループ等活動支援事業補助金」で行われています

弁護士・社会福祉士 曽我 智史氏(尼崎駅前法律事務所)応援メッセージ

阪神ダルクを応援しています‼

 阪神ダルクの活動は、社会的に意義があります。依存症のために、独力では社会生活を営むことが困難な人に、居住場所を提供して自立をサポートします。依存症の対象は、薬物、アルコール、ギャンブル、ゲーム、ネット、買い物など様々です。依存症は、精神障がいであり、その回復のためには、適切な治療が必要です。そして、その一つに、社会とのつながりを再構築するというプロセスが必要とされています。実は、依存症から回復するためには、これが不可欠です。阪神ダルクは、依存症の人に対して、単に居住場所を提供しているのではなく、社会とのつながりを持つための居場所を提供しているのであり、極めて重要な回復の機会を提供しているのです。

 依存症の人たちが回復するためには、地域社会から排除されることはあってはなりません。むしろ、地域社会に受け入れられる中で、回復が得られます。また、依存症の人たちは、決して犯罪者などではありません。むしろ、孤独を紛らわせるために、何かに依存し、それにより自分を生きることを保っているのであり、地域社会は、彼ら・彼女らに、孤独を感じさせないような働きかけをしなければならないのです。

 阪神ダルクの活動を支え応援することは、社会的な連帯意識が低下した現代社会のなかで、地域連帯を取り戻し、地域社会での支え合いの精神を醸成し、社会福祉の基盤を形成あるいは強化することに繋がります。社会において苦しい立場にある人を支えるという精神の実践は、必ず、それを実践した人のために還元されるはずです。

 私は、社会福祉士・弁護士として、依存症で苦しむ人たちと出会ってきました。もちろん、薬物依存により刑事裁判を受けることになった人とも出会ってきました。他方で、彼ら・彼女らが、社会的な居場所を見つけ、自己存在感を取り戻す機会を得ることにより、回復していくという事例も数多く見てきました。依存症で苦しむ人たちが、ダルクを利用することで、自立していくという好例は数多くあるのです。

 人はだれしも孤独です。人は誰でも、孤独に耐えきれずに精神がダウンすることがあります。その程度は人によって違いますが、強いと思われていた人が酷くダウンすることもあります。そして、人は、そのようなときに、程よい距離感で接することのできる他人を求めるものだと思います。独力で適度に他人との関係を結び、孤独とも向き合いながら自己受容ができれば、依存症には至らないのが通常ですが、人は皆が皆、そんなに器用ではありません。人は不完全であり、その不完全さに正面から向き合うことの苦しみは、誰もが程度の差こそあれ経験したことがあるはずです。

 阪神ダルクは、このような人のもつサガに正面から取り組むという他の支援機関にはなかなかできないことにまで取り組んでいます。

このように阪神ダルクの存在は、とても貴重であり、末永く応援をしていきたいと考えています。 

※6月 阪神ダルクに関する小規模住民説明会等のご案内

今回の各月の説明会は築地福祉会館にて定員30名(先着順)で開催させていただきますが、オンライン参加も可能となっております。定員に達し参加申し込みができなかった方はオンラインでのご参加をお待ちしております。


◎開催日時:2023年6月9日(金)19時~ 参加お申し込み 定員30名(先着順)

◎開催場所:築地福祉会館               (〒660-0858 兵庫県尼崎市築地5丁目2-8)

※googleフォームでのお申し込み 

右のQRコードよりお申込みをお願いいたします。   

※電話でのお申し込み

📞 090-1716-6527


※オンラインzoomでの参加 

 

ミーティングID: 980 5171 4392

パスコード: 7410


※zoomで参加された方のご質問はズームチャットでお願いいたします。尚、時間の都合により全部お応えできない場合はご了承ください。

※録画、録音等、2次転用はご遠慮ください。

※定員は30名(先着順)です。完全申し込み制ですので30名を超えた場合は締め切らせていただきます。当日会場にお越しになられても申し訳ございませんがご参加いただけません。

第2回阪神ダルクに関する住民説明会 当日配布資料

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