「ダルクと関わり見えてきたこと」            阪神ダルク支援者 川西悦子

 20年ほど前、友人の息子さんが深夜に徘徊をしているのを捜索したことがきっかけで、私のボランティアの夜回りが始まりました。

 子ども達は様々な理由や事情から深夜徘徊をしていました。子ども達によっては暴力、貧困、女の子に関しては性暴力等、複雑な家庭環境がありました。その子ども達の中で苦しさを紛らわすためシンナーや大麻といった薬物に手を染める子ども達とも出会ってきました。私はその子供たちをなんとか出来ないかと思うようになり、色々な薬物の本を読み勉強しました。そしてある本に「薬物は依存症という病気である」と書かれていました。「えっ病気、病気なら治る」と思いました。薬物に関する専門書等を色々読みました。その中に薬物依存症の人たちが回復できる施設「ダルク」という場所があると知りました。そして、探した施設が「京都ダルク」という施設でした。ここで薬物のことを勉強したいしようと決心しました。

 初めての訪問前日、私はとてもドキドキしていました。世間では「覚せい剤やめますかそれとも人間やめますか。」のCMが、テレビで流れていた時代でしたので、本当に大丈夫かな?薬物を打たれたりしないかな?と真剣にその当時の私は思いながら、ダルクへ行きました。

しかし、本当のダルクは全く想像とは違いました。

ダルクへ行き、京都ダルクの玄関を開けて入ると、スタッフの一人が出迎えてくれましたそして、私と握手をした後、ハグしながら、「川西さん、良く来てくれました」と挨拶をしてくれました。その後も次々とスタッフ、利用者が集まり、順番に握手、ハグをしてくれました。私は緊張がとれ、受け入れられたような気持ちになりました。

それと同時に人の温かさを感じました。私はすぐに溶け込み、一週間に一回、ボランティアとして通いながら薬物の勉強をしようと心に決め京都ダルクへ行くことにしました。

 ダルクの一日は、午前、午後にテーマを決め一時間の「言いっぱなし聞きっぱなし」というミーティングを中心に行われ、それ以外にも昼食の作り方や規則正しい生活の在り方をダルクで学んでいました。ダルクでは一日二回のミーティングに力を入れ「今日一日薬物を使わないでいよう」を合言葉のように真剣に取り組んでいました

ダルクの人たちはテーマに沿って、自分の思い、苦しかったこと、生きづらさ等の気持ちをありのまま語る。

私はよくそのミーティングに参加させてもらい、薬物の方が語る体験談を聞いていました私にとって、その体験ははじめての経験でした。薬物を使い逮捕、精神科病院の通院や入院。孤独、孤立し自信がなくなり自尊心が傷つき絶望、家族にも見放され、苦しくなり再度薬物に手を染めていく。このような話をよくしていました。

これからどう生きていくのか、一人で考え生きるのではなく、仲間と共に助け合いなから生きることが薬物の人には必要だと感じました。

「安心できる居場所、それがダルク」と思いました。

私はこの人たちに何ができるのだろうか?と自分自身に問いかけました。当事者でもない私ができることを考えた時、側に居続け、寄り添い続けることはできる。一支援者として支援し続けることはできると思いました。

その日から今年で18年目。

色々な薬物依存症者との出会いで、私自身の考え方が変わり生き方を変え、色々な意味で成長させてもらえた気がします。うらぎらない、ありのままを受入れる。私の生き方の軸がこの時、生まれました。

今後もずっと依存症の方たちと関わり、支援者の一人として寄り添い続けていきたいと思います。

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