僕が薬物に手を出したのは25歳の頃です。大学を卒業し、国家資格を取得し、思い描いていた社会人生活を送り始めた頃でした。実家から大阪まで通い、頑張って貯金をし、一人暮らしも始めました。しかし、社会人生活というものは、そう楽なものではありませんでした。それでも頑張って働くことを続けていました。そんな生活を送る中で、覚醒剤に出会いました。僕はセクシャリティがゲイで、きっかけはネットで知り合った男性に誘われたことでした。誘われたときは、相手の男性がタイプではありませんでしたが、薬物を使用するという興味の方が強かったため、迷うことなく相手の家に行ったことを覚えています。相手の男性が準備しているものが、覚醒剤だという認識はありませんでした。覚醒剤というものを実際に見たことがなかったからです。でも、何かしら危ないことを今からしようとしているんだなという認識は少なからずありました。それでも興味の方が強かったため、その場でも断ることなく、覚醒剤を使うことになりました。僕はそのたった1回の使用ではまってしまい、何度も相手の男性の家に通うこととなりました。さらに使用頻度はエスカレートし、自ら売人を探し、覚醒剤を買うようになり、依存の道へと走り出しました。使用し始めてから、約1年後の26歳。初めての逮捕となりました。大阪の家から手錠をかけ、新幹線に乗り、東京まで行きました。窓から見える富士山に感動することなく、ただ悲しさだけが僕の中にありました。懲役1年6か月、執行猶予3年の判決で刑務所に行くことなく。娑婆に戻ることができましたが、僕の頭の中からは悲しみは薄れ、どうやったらまた覚醒剤を使うことができるのか、そんな思考が渦巻いていました。すぐに使うことはできませんでしたが、執行猶予を過ぎたあたりから、再使用が始まりました。就職して、仕事はできるものの、薬物を使用してしまうと、幻覚や幻聴、勘ぐりがひどいため無断欠勤をし、仕事を退職するというサイクルを何度も経験しました。そんな人生に嫌気がさし、薬物をやめたいという気持ちが芽生えるも、それでも薬物から離れることはできませんでした。幻聴の影響で死んでしまおうと自殺を試みたこともありました。でも死ぬ勇気はありませんでした。頭の中で死にたいと思っていても、体は生きたいと感じていたようです。そして2022年7月の33歳の時に親に通報され、2度目の逮捕となりました。覚醒剤を大量に使い、自分ではどうすることもできなかったため、親に助けを求めたのですが、親もどうすることもできなくなり、警察に通報したそうです。最初は悲しかったです。でも、警察が来たときは、心のどこかに少し安心した気持ちもありました。これで薬物から解放されると思ったからです。裁判も終わり、1年6か月の実刑判決で刑務所に行くことが確定しました。拘置所で過ごしている間、僕を担当してくださった弁護士の先生がとても良い方で、今の阪神ダルクの施設長と出会うこととなりました。アクリル板越しに施設長と会ったときはとても緊張しましたが、この出会いが僕の人生を大きく変えるきっかけとなりました。「君は一人じゃないんだよ。」たったその一言が僕の心を動かしてくれました。それと同時に、僕は薬物の問題を一人で抱え込もうとしていたことに気づかされ、自然と涙が溢れました。その瞬間から僕は「この人に付いて行こう」と覚悟を決めることができました。ダルクに行くという覚悟を決めてから、僕の中で少しずつ変化が起き始めました。刑務所の生活は辛いこともたくさんありましたが、自分自身と向き合うことも行なっていました。そして、2023年10月、仮釈放をもらい、阪神ダルクにつながりました。最初は訳も分からず、施設内のプログラムをしたり、NAのミーティングに参加していました。最初のころは自分のことを話すに躊躇したり、話せても上っ面なことだけ話していました。でも、そんな状態でもミーティングに参加し続けていると、先行く仲間の話が段々と分かってくるようにもなり、自分の本音も少しずつ言えるようになりだしました。大きく変化が出だしたのは、入寮してから1か月ぐらいの頃でした。仲間のことで思い悩み、つらい時期がありました。そのことを泣きながら話せたことでした。自分の本音を話すことができたときは心のもやもやが少し晴れたような気分になりました。その時ぐらいから、本音を話すためらいも減り、素の自分を出せるようになったと思います。もちろん本音を話すことが簡単なことではありません。勇気がいることです。でもその大きな一歩を踏み出すことで、成長できることも知ることができました。健常者にとっては、それぐらいのことかと思われるかもしれませんが、僕ら依存症者にとってはそれが容易ではなく、薬物に手を出すきっかっけとなるみたいです。
阪神ダルクに入寮して、自分と向き合うことだけではなく、素面で楽しむことも行なっています。USJや有馬温泉、白浜旅行にも行きました。また、この年末年始は西宮の神呪寺で御来光を見たり、銭湯に入ったりと満喫することができました。薬物を使っていたころはも同じような過ごし方をしていましたが、どこか寂しさもありました。でも、今はこうして仲間と過ごせていることが何よりの幸せです。この思いを忘れず、これからの回復に力を注いでいきたいと思います。回復がうまく軌道に乗れば、ダルクのスタッフをしたり、まだ苦しんでいる仲間にメッセージを運べるような人になりたいと強く願っています。