「阪神ダルクとの出逢い」尼崎在住 某経営コンサルタントの秘書業務  神山 ヒデ子

まずはじめに、各依存症を通じて自分自身と向き合い、回復に勤しむ皆様及び、理解を示されている周りの皆様に心からの敬意を表します。私の体験を通じて、未来に希望を持って頂きたい思いでシェアさせて頂きます。

父が病気で入院したのは私が7歳の時。退院後も働けなくなり、その憂さ晴らしの為か趣味の競艇にのめり込む様に。稼ぎ頭を無くし家計は火の車。母は昼夜問わず働きに出る。 軍資金が底を尽きた父は母へ無心。一気に負のスパイラルに陥る。この時点で外部のサポートが必要だったが当時は情報が無く、依存症の認識が無い私は「家庭内の事とはいえ父の行為は犯罪。私は被害者である一方加害者の娘という立場。友達に知られたら嫌われる。ともすると両親と一緒に暮らせなくなるかも知れない。そんな思いをする位なら話さない方がまし。」悪い事態を想定し、【現状維持バイアス】が掛かった状態に。その後、同級生のいじめに遭い家にも学校にも居場所を無くした時でさえ「私さえ黙っていれば、私さえ我慢すれば全てはうまくいく」そう自分に言い聞かせ現状維持。当然の事ながら状況は更に悪化。私に冷たくなった(と思った)両親の事をだんだん受け入れられなくなる。「親の事が嫌い、そんな自分はもっと嫌い」と自己否定。ある日「親に消えて欲しい!」そう思った瞬間我に返り 「こんなこと考える私の方こそ消えたほうがいいんだ。」と希死念慮が。当時10歳。

「私の人生、なんでこんなに悲しいんだろう?辛いんだろう?苦しいんだろう?なんで?なんで?なんで???」と自問。すると天からの啓示の如くひとつの答えが「私は不幸になる為に生まれてきた。」眉をしかめる様な内容に感じるかも知れないが私にとっては逆だった。内容よりも長年抱いていた疑問が解けた喜びの方が大きかったのだ。妙に腹落ちしスッキリした私は「了解!じゃぁ私はこれから強くなろう!不幸を乗り越える為に。」そしてこれは今後大いに役立った。不幸に対する心積りが出来たのだ。もちろんフォーカスが不幸にあたってしまった為、ありとあらゆる事象が不幸に感じるという副作用はあったが、いまだにこの答えを出した事を後悔したことは一度もない。あの環境下では免罪符。お守りになったのだ。高校生になった時、父のお金の無心は遂に私にまで及んだ。普段なら「今日はお金を盗られなかった。私の勝ち!」とゲーム感覚でやり過ごしていたが、そこはまだ未成年。ある日「父にとって私の存在意義はそんな程度なのか。」と思い悩み母に打ち明けた。しかし返ってきた言葉は「盗られる所に置いておくお前が悪い!」見事に返り討ちを喰らってしまう。そう我が家のルールは自分の身は自分で守る。とはいえいよいよ精神的に耐えられなくなり、外部に助けを求める事に。先生、バイト先社員、最後は行政に。しかし結果はどれも玉砕。現状は何も変わる事はなかった。

「もう他人に頼るのはやめよう。この問題は墓場まで持っていく!」                  

社会人になった後、数人に過去の話としてこれまでの事を話した。返ってきた言葉は

「今までよく死ななかったね。私なら自殺しちゃう・・・。」

当然の反応だろう。なんせ当の本人でさえもそう思っているのだから。

「あの時も死にたいと思った。この時も死にたいと思った。ある時なんて本気で死のうと思った。」そんな過去が思い出される。だが改めて他人の口から言われるとより一層気落ちする。自分の身の上がそんなに不幸なのかと。

時は流れ31歳になった私に運命の出逢いが。経営コンサルタントを生業にしている男性。時々個人の相談にも応じている。ひょんなことから私のバックグラウンドを知った彼が言ったひとこと。これが私の人生を変えた。その言葉は「今まで良く生きてたね。」

次の瞬間私の脳裏に【生きること】を選択してきた自分の姿が思い出された。

辛いながらも今まで毎晩「今日一日、なんとか乗り越えられた。よし。今日1日頑張れたんだから、明日もう1日頑張ってみよう。」と自分に言い聞かせながら眠りにつく日々。

そんな自分を誉めてもらえたような気がした。「あぁ、私の選択は間違ってなかった。私は生きてて良かったんだ。」ようやく自分を許せた瞬間だった。

その後不思議な事が起きる。私がつい「死にたい」と口走ると、突然背後から「今まで良く生きてたね。」と聞こえてくるようになったのだ。えっ!と振り返るも誰もいない。「何だったんだろう今のは?確かに聞こえた。」そんなことが繰り返される事3回。

そしてまたもや「今まで良く生きてたね」と聞こえてきたある日。遂に私はこう答えた。「はい、はい。分かりました。生きればいいんでしょ、生きれば!」開き直りだった。

宣言したからには実行に移さないといけない。しかし何から始めよう?そうだ。まずは「死にたい」と言うのを止めよう。思ったとしても言わない。行動を変えたのだ。

あれから早22年。今の私は昔では到底考えられない位、恵まれた生活をしている。改めて振り返ると、強くなりたいと思っていたが、強さははじめから私の中にあった。更には「生きる」ことを強く望んでいた。そう、答えは自分の中にある。

詩人、相田みつを氏の作品にこのような言葉がある。「その時の出逢いが人生を根底から変える事がある。良き出逢いを。」残りの人生、今日が一番若い日。未来は過去の延長線にある必要はない。人生はいつでも変えられる。人生は望んだ通りになる!

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