
薬物依存症のミヤです。私がダルクで薬物依存症の体験談を書くのは5回目になりますが、私は現在も強い心的外傷を抱えており、「それが再燃してしまうのではないか・・・」と不安でいっぱいです。勇気を出して書きたいと思います。
私が20代前半だった夏の夜、帰宅し玄関の扉を開けると父が首を吊っていました。急いでハサミを探し、ロープを切り救急車を呼んで父の救命をしようと試みましたが、父には生命反応がなく、死後硬直が始まっていました。自宅に到着した救急隊員に「手遅れです」と言われた時、私も父の後を追って自殺しようと自宅を飛び出そうとしました。その時、自宅に来ていた刑事さんに止められ、慰めてもらったことを鮮明に覚えています。その事が20年近く経過した今でも、「あの時に死んでればよかったのに」と思うことがあります。
当時、私は安定した会社に勤務し家庭を持っていましたが、自分勝手な理由で会社を辞め、家庭を顧みることなく散財を繰り返す日々を送っていました。夫婦で貯めた定期預金も解約し、あっという間に多重債務に陥り、妻は実家に息子を連れて帰ってしまい、家庭は崩壊してしまいました。その事がストレスになり父が自殺をしてしまいました。私は責任を感じて自殺を決意し、自宅にあったガスボンベを口にくわえて吸引しました。幸か不幸か、死ぬことはできずガスを吸うことに快感を覚えてしまいました。その時の「たった一回」が私の人生をどん底まで突き落とすとは思いもしませんでした。
それから私の人生は破綻していくいく一方で、日を追うごとにガスの吸引の頻度や量が増加し、「吸うために生き、生きるために吸うことの繰り返し」の状態になり、自己嫌悪に苛まれる日々が続きました。そのような状況に陥ってもガスの吸引をやめることができませんでした。そんな中、ガスを吸収して得られる快感が、次第に恐ろしい幻覚・幻聴に変わてっていきました。ガスを吸収したい強い渇望と恐怖感で思考が混乱状態に陥り、私は自分自身の限界を悟り、薬物依存リハビリ施設「ダルク」への入寮を決意しました。
しかし、ダルクへ入寮したものの、ダルクの決まり事や新しい環境での生活に馴染むことができず、数えきれない程のトラブルを起こしダルク間で施設移動を何回もしました。それでも私は自分の問題とは向き合うことはせず、ダルクを飛び出しては、ガスを吸引して底をついて施設にもどることを繰り返していました。その結果、精神病院に措置入院したり、その後、刑務所に入所しても、翻意を促すことはせず、私は完全に依存症からの回復を諦めており状況は深刻化する一方でした。
その様な酷い状態の私に、ダルクやNAの仲間は何度も受け入れてくれ、回復の手助けをしてくれました。その時、「私には同じ境遇の仲間たちが必要不可欠だ」と認めることができ、少しずつ心を開くことができるようになりました。ダルクの仲間たちは、私の心に少しずつ希望の光をもたらしてくれました。仲間たちは私と同じように、薬物依存症という問題を抱えており、「自分だけが苦しんでいるわけではない」と気づき少しずつ心が軽くなっていきました。
私にとって、ダルクでのリハビリのは厳しものでしたが、ダルクが提供してくれるプログラムやNA(ナルコティクスアノニマス)でのグループミーティング等を通じて、毎日少しずつ自分を見つめ直すことができ、過去の自分を受け入れ、経験を共有することで、共感や支え合いの大切さを実感しました。
現在は、ダルクで就労する機会を与えられ、その役割が自分自身の回復と成長つながることを実感でき、心の充実感を得ることができています。
最後に、ダルクで得た経験やNAの仲間たちは、私を支える大きな力となっています。今後も、同じような苦しみを抱える仲間たちと共に回復の道を歩み続けて行きたいと思います。